昔からほんと時間を守らない人間だったんだ、俺は。 小学生低学年の頃は門限17時って決められてたんだが、遊びに行って17時までに帰宅した記憶が無い。 夏休み中だったと思うが、ある日18時を過ぎて帰宅すると、家の鍵が閉まってて入れない。 それ以前にも何度か閉め出し食らったことがあったので、少し待ってればすぐ入れてくれると高をくくっていた。 しかしいくら待っても入れてくれない。 ドアをドンドン叩いたりベルを押しまくったりしたら母が出てきたので、ほっとしたのも束の間頭を3発叩かれてまた閉め出し。 悪いのは判っているが、小学生の反省の時間がそう長く続くわけもなく。 ただ立っているのはヒマでしょうがないので散歩に出かけた。 当時うちは4階建てのアパートの最上階で、1階の敷地内には公園と物置棟があった。 周りは住宅地で畑もいくつかあり、のんびりとした町だった。 昼はよく走り回って知り尽くしている町だが、夜歩くと雰囲気が昼間と全然違うことに気付く。 暗いというだけで景色がガラッと変わり、知らない町にいるような錯覚にとらわれた。 1人で歩いているととても不安になった。 車のヘッドライトやテールランプが怖かった。 再び家の玄関まで戻って来たが、相変わらずドアの鍵は閉まったまま。 おなかも空いたし風も冷たくなってきたし、もう敷地外には出たくないし、どうしようもなく心細くなった。 せめて寒くないところに、ということで物置に入ることにした。 雑然とした物置の中は小学生にとっても決して十分な広さではなかったが、残っていた昼の熱気が少し冷えた体には心地よい温かさだった。 安心して気の緩んだ俺は体を折りたたんで座ったまま眠ってしまったようだ。
 
 鳥が鳴いていたのでおそらく朝だったのだろう。 物置の中で目を覚ました。 無理な体勢で寝たせいか体中が痛かったが、なぜ体が痛いのか理解できていなかった。 しばらく薄暗い物置の一点をぼんやり見つめながら、一つ一つ思い返した。 いつもどおり門限を破ったこと、夜の町を歩き回ったこと、寒さを凌ぎに物置に入ったこと。 そしてやっとなぜ自分が物置で寝ていたのかを理解し、体を起こした。 その時初めてあることに気付いた。
 
タオルケットが一枚かけてあった。
 
 
 最近、この日のことをよく思い出す。 結局この後も門限を守るようにはならず、時間全般に対してルーズで大学卒業まで遅刻常習犯だった。 つくづく大人の思惑は子供には伝わらないものだと思う。 しかし大人になった今は、両親の立場で考えることができる。 所詮憶測でしかないが、この時の両親の気持ちも少しわかる気がする。 ずっと玄関の前にいるはずの息子が居なくなっていることに気付いた時、母はどんなに心配しただろうか。 うちは車を持ってなかったので、自転車で探し回ったのだろうか。 冷めた夕飯を見ながら母は帰って来ない幼い息子の身をどれほど案じたのだろうか。 夜遅くに帰宅した父とどういう会話をしたのだろうか。 そして物置で眠る息子を発見した時どんな気持ちだったのだろう。 もしかしたら、俺が物置に居るのは計算ずくで何の心配もしていなかったかもしれない。 だが、そのまま放置せず、またおぶって連れ帰ることもせず、ただ一枚のタオルケットをかけるにとどめたことに、深い愛情を感じずにはいられない。 しっかり反省して欲しい。 時間を守る人間になって欲しい。 でも風邪をひかないように。 いつでも両親が見守っている。 かけてくれた一枚のタオルケットには、そんなメッセージが込められていたように感じる。 20年が過ぎ、両親が一枚のタオルケットに込めた思いは今ようやく息子に伝わったのだろうか。